生きる意味とは何か?素朴な疑問

生きる意味とは何か。

生きる意味とは何だろう?

誰もがいつかぶち当たる疑問点かもしれません。

※単刀直入に言うと、生きる意味という疑問は一生終わらない。唯一終わらす事が出来るのは自分が導き出した答えです。

「生きてて何が楽しい?」「生きてて何か得するのか?」

「ん?待てよ、、、そもそも生きてる意味ってなんだ?」

そう考えた事がある人は沢山いるのか?、少ないのか?、

はたまた人の事はどうでもいいかも知れない・・・

どうでもいいかもしれないが、あなたはこのサイトに辿り着いた。

既にとってもラッキー(^^♪、そしてあなたに見て貰っている僕もとってもラッキー(^^♪

このサイトにたどり着いてしまった理由。。。。。

それには深い理由があなたの意思の中に眠っているに違いない。

理由は様々です。

最初に言っておきますが、このページはセールスやLPなどではありません。

最後に「あなたを助けます!まずはメールアドレス記入」なんて事はありませんのでご安心を。

これを読みつづると言う事はもしかしたら

あなたは人生に嫌気がさしているに違いない?、興味本意で読んでくれているかもしれないし、人生の中で崖っぷちに立たされているのかもしれない。

しかし生きる意味を、考え出したあなたは天才的かもしれない。

でも、問題が1つ。

あなたは僕が書いたこの記事を読んで理解しようとするかしないかで大きく道が変わるかもしれません。

難しそうだから辞めようとこの窓を閉じればいつも変わらないあなたが求める悩める毎日が来ることでしょう。

「楽しくないから読まない。」

それもいいでしょう、僕はお笑い芸人でもないし、人を笑わせる為の記事を書いているわけではありません。

あなたは天才かもしれない。

何故ならこの非常に難解な問題を自ら解明しようとしているのだから。

人類皆平等。馬鹿げているのは確かだ。

しかし

いずれにせよ、どんな人間であろうと時間は1秒1秒刻々と全ての人間に平等に刻まれている。

そして1秒1秒、寿命と言う人生の時間も失われている。

これは全ての人間に平等と言える。

中には不本意ながらその寿命を短いまま最期を遂げる者もいる。

僕はそのような人を2人目の当たりにしている。この点については全くもって平等ではない。

生きたくても生きれない人もいると言うことは忘れてはならない。

これについては幸運と言う者もいれば、不幸と言う者もいるだろう。

この生きる意味とは人間全体にとって大きな難題にもなるかもしれない、何故なら、明確な生きる意味など生物学的にしか説明出来ないからです。

人間は本能以外に色々な能力を持っています。言うなれば賢くなったその代償とも言うべきでしょうか。

考える能力があるからこそ生きる意味も知りたくなるのですね。

まずは今まで教わった事、人々が信じてやまない常識というものから抜け出さなければなりません。

え?オカルト?スピリチュアル?だって?

僕的には常識が真実で、善人は正しい事しかしないとか言っている人の方がオカルトです。

他人が作ったレール【価値観】の上では自分の生きる意味など見出せないからだ。


スポンサーリンク





生物学的な生きる意味。

人間でもそれ以外の動物でも不思議な事に全く同じDNAを持っていないわけです。

DNAとは聞いた事があると思いますが、その個々の生命体をこの物理空間に存在させる為の設計図となるものです。

【我々は存在していると考えるのは人間だけだろう。】

今ではDNA鑑定と行って血液や皮膚、歯や毛髪といった様々な人体パーツから個人を特定する事が出来ますが、100%確実とは言えないのはご存知でしょうか?

それはさておき、1人の人間が誕生するには精子と卵子が必要になります。誕生した赤ん坊はやがて大人になり、また子孫を残します。

「そんな事誰でも知ってるよ」と言う声が聴こえてきそうですね。

残された子孫は子孫を産み出し更に子孫を残そうとする。

自分達のDNAを後世に「伝える為」の本能がある為です。

家族同士の交配では血縁が濃い為に奇形児が産まれやすいと聞いたことはありませんか?

これは様々な良いところ。つまり進化し続けるためには様々なDNA【情報】が必要だから、同じ情報は必要とされないからです。

これには人間が持っている美観的意識はあまり考慮されません。

【人間の美的感覚は時代と共に変化する、そんなもの生存・存続には直接必要ない。】

何が重要なのか?

恐らく、生きていくための環境適応力や環境変化に適合する知識や身体的形状を受け継ぎミクシングする為なのでしょう。それが適合進化。

そして本能的に強い感情は、死への恐怖感です。この恐怖感は自ら死を招き入れないのと生命的危機を回避するために生じる感情です。

【人間は特に無知・未知といったものに恐怖を抱く。】

生物学的には子孫繁栄が生きる意味ですから。

しかし例外もあります。

今の現代では考え方の多様化や自由化のため自殺と言う願望も少なくはないでしょう、理由はともあれこれは思考と行動が一致して本能すらも相殺させてしまう程のショッキングな出来事があったに違いありません。

【僕が自殺未遂を何度も繰り返しても今生きているのは本能がまた生きていたから。】

本能に逆らい自ら死を招くとは実際は並大抵の事では出来ないです。ある意味生きている人よりも勇気があるのかもしれません。

しかし、死の恐怖を乗り越えて死の先には何も無い事を理解しなければなりません、よく「あの世」と言う全く異なる次元世界が存在しているように人々は表現したりしますが、脳内の情報空間でのお話でしかありません。

【夢を壊して申し訳ないがそれが現実。】

実在しないおとぎ話です。実在しないが情報空間では存在しています。

要するに頭の中で天国は存在するが、現実には存在しない。

「神さまはどこにいますか?」とキリシタンに聞いた事があるが、その人は空を指差した。

【勿論、無礼は承知だ。】

「いやいや、そこは空か雲か宇宙、もしくは月か太陽か?」てんで何も理解していない様子だ。それを話すと「失礼な人だ」と言い立ち去ってしまったが、どちらが失礼なのだろう。

【自分の信仰を押し付ける行為こそ相手に失礼なのではないのか。】

単純に死ねば何も無いのだ。

死んで何かなるのは生きている人間だ。

よって、自殺とは犬死にと言えるでしょう。犬をバカにはしたくありませんが。。

このように、生物学的に考えると人と人が人を産み出し、産み出された人もやがては人同士で人を産み出し変化し続ける環境に適応し更により良い生活にする為に進化し続ける自然の摂理なわけですね。

これだけ知っても勿論生きる意味など見いだせるはずもありませんが。生きる意味を見出すには考えておいたほうがよいでしょう。

そして脳細胞を含め人間には60兆の細胞があります、物凄い細胞数で1人の人間を構成していますが、この60兆の細胞の組み合わせは1人1人異なります。

つまり、地球上でこの60兆の組み合わせで存在しているあなたは、あなた1人しか存在しないと言う事です。


スポンサーリンク





人は悩みたくて悩む

意味がわかりにくいでしょうが、人とは悩みたくて悩んでいます。

勿論、悩んでる人はこう言うでしょう「悩みたくて悩んでいるわけじゃない」と。

果たしてそうなのでしょうか?

仮にです、幼い頃に大変悩んだ事がありました。

しかしそれから大人になった後では幼い頃に悩んだ事はどうでもよくなっているはずです。

中には笑い話にする人もいるでしょう。

もしその悩みを忘れずに大人になっても同じならば、それは悩みとは言わず【トラウマ】と言うものです。

トラウマに関しては後程別の記事で書くとして、【悩み】についてですが。

本質的に考えると悩みの答えや解決策とは既に本人が知っています。

例えば悩み相談した人が助言を聞きそれを忠実に実行するでしょうか?

答えはノーです。

助言の内容が悩める本人が求めた答えと合致していたらその通りに行動するでしょう。

しかし思ったような答えが出なかった場合、結果的に悩める本人が信じたほうに行動します。

結局、本人が何を信じるかによって行動するというのは自分で既に答えを出していると言う事ですね。

「思ったような答え」が「出るか」「出ないか」と言う時点で既に決まっているわけですから。悩む本人が既に答えを知っているわけです。

勇気が無いからとか、どうしたらいいか分からないからと言うのは助言してくれる人へ責任を押し付けている行為でもあります。

【仕事などは別です、わからない事は聞いたほうが早い。】

しかしそれらは押し付けと言うよりも無意識と言うべきかもしれません。

因みに、悩みを考える時間が長くても短くても出て来る答えの質は残念ながらあまり変わりません。

生きる意味を見出す場合、考える時間を長く取るのではなく、別のところへ目を向け学ぶ事が大事だと言う事になりますよね。

しかし、答えはもうある程度知っているはずですよ?

気付くか気付かないかの違いです。

まだまだ気付けないのはスコトーマがかなり強いのでしょう。

気付けないのが悪いと言うわけではありせんよ?


スポンサーリンク





心の中に常識はいらない。

よく言われませんか?

もしくは言いませんか?

普通○○だよ。

○○するのは常識だろ。

常識とは、一般論なだけで、正しいと言う意味ではありません。勿論、他者と共存する上で常識とは知っておいたほうがいいしやっておいたほうがいいでしょう。

だからと言って常識を信じる必要は無いと言うことです。

日本人の殆どはこの常識に囚われ、常識を崇拝している人が多いでしょう。

これらの常識を一方的に守ろうとするのは旧大日本帝国の洗脳教育の名残りとも言えます。

【日本が悪いと言うわけではない、国も人と同じく成長するもの。】

常識は人と共存する上で平和的に暮らすには必要ですが押し付けるものでもないしそれらの行動が正しいとも言えません。

常識、常識と言う人間ほど信用出来ないのも当然と言えば当然です。

常識ばかりに囚われるのは大変危険です。

何故危険なのか?

それは、常識に囚われるほど思考も囚われてしまうからです。

要するに常識とは強制的に正誤を決め付けている側面があるので、言い方を変えれば偏見の塊だと言えます。

これにより生きる意味の選択が出来なくなっていると言う事です。

頭の中にこびりついた常識が、自分の頭の中の自由を奪い。

生きる意味を見出す邪魔をしているわけです。

「○○しなければならない」、「○○するといいよ。」「○○は絶対しちゃいけない。」

基本的に常識崇拝者の意見はやった事もないのに○○はダメとか、○○イケてない。などと言った考え方を生み出してしまいます。

理解出来るでしょうか?

今の小学校ではカッターナイフは使用禁止だと聞いた事があります。

理由は単純で「危ないから」だそうです。

それを聞いた僕はこう思いました。「そりゃぁ世の中、人殺すとどうなるんだろうと思い殺してみました。」って人増えるわな。です。

そ~ゆ~事です。

カッターナイフは危ないから使わないのが常識ですか?

それとも物を切る為にカッターナイフを使うのが常識ですか?

常識とは鳥かごです、常識崇拝者は鳥かごの中が安全だからここに居なさいと強要する人です。

しかし、あなたは鳥かごの外に答えがあるのだと考えるとどうでしょう?

外は危険だからおやめなさい、中にいた方が一生安全だからと言い安全や保証や保険といったものを振り回します。

自分が鳥かごから出ようが、そこにいようが、出てから「あやべぇ」と思い帰ろうが。

自分の自由です。

他人にどうこう言われる筋合いもないし、決めらる筋合いもありません。

答えは自分で決めるんです。

ただし、他人の忠告は信じる必要はありませんが参考として聞いておいてもいいでしょう。


スポンサーリンク





生きる意味を探す理由

あなたは生きる意味を探していますか?

探している理由はありますか?

それは、生きる為に探しているのではないでしょうか。

「死にたい死にたい」と他人や家族に言う人はいらっしゃいますが、そもそも日本語の使い方を間違えています。

そのような人の「死にたい」を翻訳すると「自分の居場所が欲しい」という言葉になります。

生きる意味とは教わるのではなく、自分で見つけて「これにきーめたっ!」と決める事が生きる意味なんじゃないでしょうか。世の中は実に単純明快です。

もう一度言います。

生きる意味とは教わるのではなく学ぶ事です。

勿論、口で言うのは簡単です。

それもそうです、そんな簡単に見つける事が出来たらこんな記事をここまで読む必要ありませんからね。

生きる為に生きる意味を探すと言うのは、生きる目的が重要。

目的とは、まずはあなたが、あなた自身がどんな人に憧れますか?

どんな人になりたいですか?

どんな事をしてると心が落ち着き

どんな事をしてる時が楽しいのか

何が嫌いで、何が好きなのか

何をしたいのか

これらをよーーく落ち着いて紙に書いてみましょう。

箇条書きでも結構ですし、思いついた分でも結構です。

落ち着いてる時に書いて下さいね。

感情が揺れ動いている時は正常な判断が出来ません。

書き終えたらそれを眺めてみましょう。

それがあなたの生きる意味のヒントになります。


スポンサーリンク





誰もが知らない生きる意味

単刀直入に言いますと、残念ながら1人1人の共通した生きる意味はありません。

これらは100人100種と言って、1人1人が違う人間である以上、一貫した生きる意味もなく、1000人いれば1000通りの生きる意味が存在するからです。

同じ人間と言えども、感じ方や考え方や行動も微妙に異なります。全く同じ事をしてもタイミングや多少の誤差や間違い、正しさ、微妙なところが変わります。

あなたはあなたしかいないと言う紛れも無い証拠とも言えるでしょう。

仮に都市伝説的なドッペルゲンガーが実在したとしても、それは自分ではなく間違いなく他人なわけです。【テレビはエンターテイメントだと言う事を忘れてはいけない。】

このように1人1人が違う生命体だからこそ、生きる意味も人それぞれ違います。

なのであなたの生きる意味は○○だよ!

と言えないのです。

仮にあなたの事をめちゃくちゃ知ってて何でも解り合えて「この人は私の事を全て知っている」と思う人が「あなたの生きる意味は○○だよ!」と言ってくれる人がいたとしたら?

それはあなたの事を思って言ってるんですよ的な自分の事しか考えてない人です。

何が正しいか、何が間違いかは自分で決める事、勿論それには自己責任が付きまといます。

言い方を返れば自己責任を持っていない人は生きる意味を見いだせない。と言う事になります。

もうちょっと言い方を変えると、自分で自分の責任を持てない人は自分の生きる意味にも責任が持てない。

です。

今言っている【責任】とは他者が何か関わるような責任とは違うと言う事はご理解下さい。

なので会社で「責任とれよ」とか「どうするんだよ責任とれるのか?」といったような責任ではありませんよ~と言う事です。

普段から誰かの責任にしたり何かのせいにしたりする癖があると、生きる意味を見出すには困難を要します。

まずはそこから直していくのもいいかもしれませんね。


スポンサーリンク





最後に。

まぁ、僕的には短い文章に感じています。。。。

長いと思う人もいるかもしれません。それが個々の違いともとれます。

こんな短い文で果たして生きる意味を見出すヒントを生み出せるのだろうか。

そのような懸念はありますが。

自分で何を見つけ、何に気付き、何を学んで来たのかが、この先の「生きる意味」になるでしょう。

世の中には良い人ばかりではありませんが、良い人もいます。

悪い人に見えて良い人もいるし、良い人に見えて悪い人もいます。

多種多彩であるが故に、怒りや、悲しみ、喜びといった様々な感情が蠢いています。

昔の人は何もかもががんじがらめで他の事を考える余裕すらなかったでしょう、それなのに今ではしょーもない事を考える余裕が出てきているのも、言うなれば裕福なのではないのでしょうか。

ひぃばぁちゃんは「昔は大根しか食うものなかった」と言っていました。今ではお金さえ払えば大根以外にも余裕でありつけますよね。だから「大根は嫌い」と言えるのです。

今の混沌とした感情がうごめいているいるように見える社会、そんなのに飲み込まれ自分を見失っては本末転倒です。

しか~し

生きる意味が理解出来ず途方に暮れる事もそれほど長くは続かないでしょう。

この記事を理解出来るまでキッチリ読んでいただけたらの話ですが(笑)

自分を信じましょう。他人を信じる前に自分を信じなければ誠に他人を信じる事は出来ません。

神様にお祈りして病気が治った人は電車のつり革を神様だと思い祈っても病気は治ります。

「なんで治った?」という本質は神様でもつり革ではなく「信じて行動を取った」からです。

それを自分に置き換えて自分を信じれば余裕で生きる意味はわかります。

神様にお祈りして病気が治らなければ神様に責任を押し付ける事が出来ますしね。

そして他人に答えを求めても他人はあなたの答えを決める事は出来ません。

生きる意味を考えているのもあなたの立派な個性です。

これだけは言っておきます。

もし生きる意味を見出せたら。。。

断言しましょう。

かなり明るい楽しい毎日がやってくるのは間違いありません(笑)

見つかるのではなく、見つけるのです。

何か凄い重い話なように感じますが、軽くするのも重くするのもあなた次第です。

それでは〜


スポンサーリンク






シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローにご協力下さい♪

トップへ戻る