本当の優しさとは?一般には無い教科書

本当の優しさって?

本当の優しさとは非常に難しいものかもしれません。

それは単純に他人が喜ぶ行為そのものが「優しさ」だとは限らないところです。

本ページはその「優しさの本質」についてクソ真面目に答えるページです。

本質的な優しさとは時に無情で時に残酷だと感じるかもしれません。

まず最初に言える事は「見返りを求める考え方」は優しさではないと言う事です。

それは何故か?

人それぞれの概念というものが違いますから考え方で優しさの意味合いも180度変わってしまうからです。

本当の優しさと言うのは互いが許し合い尊重し合う行動そのものが優しさであり、どちらか一方が「優しさ」を見出しても成り立つものではありません。

例えば、道端で困っている人がいたとします。問答無用で助けるのか?それとも見て見ぬふりをして素通りするのか?

たったこれだけでも「優しさ」と言う考え方を変えればどちらも優しさだと考える事が出来ます。

仮にその困っている人が自力で何とかしたくて誰からも助けてほしくなかった場合。その人を助けてしまうとただのお節介になってしまいます。

「見て見ぬフリをする」と言うのは日本社会的には「冷たい人」と偏見を寄せてしまうかもしれませんが、どちらかと言うとこちらの行動のほうが日本では多数派でしょう。

相手の素振りや話しかけてみて助けが必要なのかを見極める「目」が必要になって来ますね。

本質的な優しさとはこれら賛否両論の状況を抽象的に捉え自分が信じている行動を取ることを本質的な優しさだと言う事です。

よくテレビドラマでやっている「自分を犠牲にしてまで人を助ける」と言ったストーリーがありますが、極端すぎて話になりません。っと言うよりも本質的な優しさがあればそんな事にもなりません。

優しさに犠牲は必要ないと言う事を知りましょう。




本当の優しさを知る基礎

私が考えた理論の中に「共鳴・共存の法則」と言うものがあります。

これは全ての人間が繋がっているという考え方です。全く知らないすれ違う人ですら自分に無意識レベルで影響をもたらしており、1人1人が無意識の中で共鳴しています。

無意識レベルで影響を及ぼしているのが共鳴です。

例えばあなたが捨てた中身すらも覚えてもいないゴミを出勤前に家の前に出しておいて帰って来た頃には回収されて無い状態だったとしましょう。

なんの変哲もない「当たり前」のような日常ですが、ゴミを回収した人の名前すら知らないし顔も見た事がないですねもっとも興味すらないかもしれません、当然ながらゴミ屋さんが収集しています。

いつも使っている電気も、水道も自分以外の様々な人々が膨大に関わっていると言う事。

これらは人間だけの問題ではありません、野菜を作る畑では害虫駆除するため農薬を使ったりしますが、土を柔らかくし有害な物質を食べてくれるミミズがいなければ作物は育ちません。

人間は牛ステーキをお金を出せばすぐに食べれるかもしれませんが、長年牛を育て牛の命を犠牲にして食べる事が出来ます。

先ほど述べた水道も結局「水」が無ければお話になりません、特に日本は台風の季節などがありますよね。

この台風は暴風だったり豪雨だったりをもたらし、日本国のいたるところで様々な天災が巻き起こってしまいます、時には死者もでてしまう程の威力がありますが。

日本はこの台風が及ぼす降水によって潤っています。年間の必要とされる水量の約70%以上が台風が持って来てくれるとされています。人間はダム等を作っているので何とか持ちこたえる事が出来るかもしれませんが台風が来ない年が何年も続くとすぐに水不足になるでしょう。

無知な人々はそれらを知らずに台風は良い事が無いと考える方もいらっしゃいます。

このようにありとあらゆる存在が共鳴し、ありとあらゆる存在があるからこそ共存出来ていると言う事は最低限知っておくべきでしょう。

同時に人間1人1人に存在している意味があり、目の前に見える事だけが現実ではないと言う事です。

これらを知った上で本当の優しさというものを見出せるはずです。

日本ではあまりこのような教育が成されないので馴染みにくいのも現状でしょう。


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物は優しさではない。

人間はよく「物」に執着し「物」に依存してしまう性質があります、実際のところ「所有権」なんて考え方も人間世界だけです。

本質的にはただ地球に転がっている物を拾って加工し付加価値を勝手に与え「勝手に自分達の物」としているだけにすぎません、勿論「物」を作ったりする知能は素晴らしいものですが

今あなたが持っているスマホやパソコンも鉄やプラスチック、シリコンなど様々な地球に存在する物質を加工し作られた「物」です。

ですからお金をあげたり、物をプレゼントすると言った行動は優しさではなく単なる「人間の文化」と言うだけであり、この行動を優しさだと捉えるのは安易な考えであるでしょう。

何かを頂いた時は嬉しいですがそれが優しさと直結するような考えは本当の優しさではないと言う事になります。

人間は謝罪する時に対価を考えたりしますが、これは優しさとは程遠い考え方でしょう。

恋人同士の優しさとは

恋愛にも様々な愛し方、様々な優しさがあります。

しかし、本人は優しさだと信じて行動したとしても時には相手を苦しめてしまう事もあるでしょう。それは本当の優しさなのか?と言うと違いますよね。

この場合親密な関係であるお互いはお互いを尊重すべき関係でなければなりません、日本ではこんな言葉があります「喧嘩するほど仲が良い」これは皮肉じみた言葉でもありますが

事実、喧嘩の仕方にも人それぞれですが喧嘩をする行為そのものが争いなわけで仲が良いはずがありません。

怒り感情とは破壊行動に直結します、相手を精神的に傷付けたり身体的に傷付ける行為のなにものでもありません、喧嘩が終わればまた仲良くなる傾向は人間の脳機能の性質です。

怒りとは本来自身を守る為の防衛本能として人間に備わっています、脳内にドーパミンが分泌され興奮状態に陥り「その問題とする事しか考えられなくなる」思考抽象度が狭くなります。簡単に言うと脳が馬鹿な状態へとなると言う事です。

人間の怒り感情は精々頑張って最長で約2時間程度です、どんな人間でも脳機能は同じなので最長の2時間以内が経過すれば怒りも治まります、その時に過去の記憶であるさっきまで怒ってた自分に罪悪感が芽生え謝罪するなどの行動に移ります。

結果的には口喧嘩であろうと無意味な行動になってしまうと言う現象です。

ここで互いがこの現象を自覚し理解し成長して行けば喧嘩は減り、いずれ喧嘩をする事など無くなるでしょうが現代の人間の殆どはこの「気付きの力」というものが欠落している側面があるので容易ではないのかもしれません。

ですから喧嘩をする恋人とは別れる確率が非常に高くなると言う事になります。

少々話がそれましたが、恋人同士の優しさとは相手を尊重し信じると言う事が最大の優しさだと言う事であり、自身の考え方を強要せず互いに考えを伝え互いが理解しようとする行為そのものです。

私のクライアントでこんな人がいました。

「カレーライス」と「ライスカレー」どっちが正しい?という問題で口論になり最悪な状況にまで発展してしまったと言う悩みでした。他人からすれば微笑ましい口論のようにも思えますが、本人達は本気です。

この拘りや執着と言うものを理解しようともしない相手に伝えたところで勿論喧嘩にしかなりませんよね。

私の答えはこれしかありません「各自カレーライスと思うのであればカレーライスと言えばいいし、ライスカレーと思うのであればライスカレーと呼べばいいだけ」言葉のニュアンスとしては意味も通じるしその言い合いでカレーが不味くなるわけでもありませんから。

会話している内にどちらかが自然と言葉が合ってきますのでムキになって感情に振り回される必要はないのです。

どうでもいい話ですが関西ではマクドナルドの事をマクドと言う人が多く、関東ではマックと言う人が多いそうですが「意味が伝われば」なんでもいいわけです。

この口論の問題点は互いの拘りから成る「概念の争い」です、優しさとは「どちらかが折れる」というものではなく「受け入れる」と言う事ですね。

その他の問題でも似たようなもので生まれも育ちも違う境遇なのですから言葉や考え方などどこか違うところがあっても全くおかしくありません、最初からそれを知っていればどんな問題でも「問題視」しないでしょう。


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束縛


先ほど記しましたが「浮気をしないでね」と言う言葉は恋人ではよく聞く話ですが本質的な束縛とは自分でやるもので相手から強要されるものではありません。

広く考えれば人間社会にある法律も同じです、法律も様々ありますが犯罪を犯す事は本人の自由です。日本は戦争に負け独裁国家から抜け出しアメリカ流の自由国家へと変わりました。

犯罪率が下がりにくいのは人間の大多数が本質的な優しさをまだまだ知らないからと言えるでしょう。勿論法律も人間が作った単なるルールですから欠点も無数に存在します。

犯罪を犯すかどうかは本人の自由です勿論法に触れる行為をすると罰せられますが束縛の本質とはここにもあります。

他人にどうの言われるから「やらない」「できない」と考える事そのものが大きな間違いを招いています。

では、話を戻しますが浮気をするかしないかは本人の自由です。やらないように束縛するのは相手ではなく自分自身であって誰が何を言ったところで意味がないのはこのためだといえるでしょう。

自分が浮気をして誰が悲しみ、誰が傷付くのかなど最初から想像すれば理解出来ます。

犯罪や違反も同じ事で「知りませんでした」では通用しないのは誰もが知っているでしょう「知らない・気付かない」という事自体が罪にもなります。

この日本では比較的自由が許されていますが許されない縛りもありますよね。

自分を縛り付けるのは他人が言う束縛と言う考えではなく、自分自身が学び考えた価値観で自分を束縛する考え方が本当の優しさへと繋がります。


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他人の価値観を知る


簡単なようで難しいと考える人は多いかもしれません。優しさとはなんなのか?と言う疑問によりこのページを読んで頂いている事でしょう。

ここで複数の人間が論議すると混乱を招く可能性もあります、それは言い争う人間は全て「偏見」の持ち主だと言う事です。

人それぞれ。1人1人が違うのはこの偏見があるからです、単純に偏見とは物事の偏った見方ですよね。

自分の意見を相手に伝える事はとても大切です、しかし争う必要はありません。それなのにムキになってそれを押し通そうとする人も少なからずいます。

相手の聞く耳を持てないのはその人の心のゆとりが存在しないという考え方もありますが、一方的に「それが正しい」と洗脳されているからだといえます。

このような相手の考え方、つまり価値観を知る事は本質的な優しさを理解することに役立ちます。

あなた自身は何を信じているのかは私にはわかりませんが間違ってはいけないのは「相手の価値観は知る必要はあっても信じる必要はない」という事です。

正直なところ、どちらが正しいかなんて存在しないのに自分と相手を比較してしまうのが人間の悪い性質です。

「あなたはこうだけど、あのひとはこうだね」全くの別人で関連性も本来は無いのに同じように比較する人がいますよね。そのくせ自分の欠点は明かさないなど。

実はそのような考え方の人は会話の内容そのもので自分の欠点をさらけ出してしまっている事でしょう。

だからと言って欠点の無い人間もまた存在しません。この世に人間が求めている完璧なものなど存在しません。

太陽系そのものを見ていると完璧なサイクルを辿っているように見えます、奇跡が奇跡を重ね我々人間が存在しており人間全体を見ると完璧なような生態系ですが人間1人1人は断片的な存在のように見えます。

まさにその通りで私もまた偏見を少なからずもっています。

人には知っている事と知らない事があるが故、人生とは相手の価値観を知り共存するために断片的な欠片を集める宝さがしのようなものです。

様々な人の価値観を知ると言う事は自分を知り自分に気付くと言う事のきっかけにも繋がり、やがて優しさとは何なのか?という理解を深める事にも繋がります。


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動物と人間

書き方がちょっとおかしいですがお気になさらないようお願いしますね。

人間も動物ですから。。わかりやすく動物と書いただけです。

動物とは犬や猫、鳥や爬虫類や。。。。様々な種を動物として書いています。

私が言っている本質的な優しさとはなにも対人だけの話をしているわけではありません。この中途半端な人間世界だからこそ優しさを必要とし理解が必要だと考えるからです。

一般的なよくある話を例に上げてみましょう。

アメリカでは白いハトは平和の象徴とされていますよね、日本によく生息しているのはキジバト【山バト】という種類です、その他にも様々な種類のハトはいますが。

公園やいたる所にハトは生息しています。

この野生のハトに餌付けをしている人は優しい人なのか?それとも酷い人なのか?と言う議論が未だに続いているわけですがさて、これらはどちらが正しい優しさなのでしょうか?

よく「野生のハトにエサを与えないで下さい。」という看板も目にする事でしょう。

答えは「どっちでもいい」わけです(笑)

ハトが現在のように生息範囲を広げてきた原因は「人間」だとされています、それは人間の食文化などを見れば必然と理解出来るでしょう。

人間の残飯ゴミは動物達からすれば格好の食糧になります、埋め立て廃棄による残飯はカモメの食糧にもなっていますよね。賢いハトはそれを知っているから人間社会に溶け込んでしまったと言えますね、それに加えてハトにたった数人の人が餌付けしたところで大した影響はないでしょう。

しかし、人間が何も考えずに餌付けした結果、そのハト達は人が住むマンションのベランダなどに巣を作りその住人にハト被害をもたらし間接的に人間を困らせているなんて想像しているのでしょうか?

もっと言えば人間が意図して与えたエサをハトが食べ、消化した糞が人の頭に落とされるといった事も想像できますか?

何とも忌々しいハトのように思えてきますが、法律では動物愛護法によってハトを駆除するのは犯罪となってしまいます。面白い話ですよね。

「ハトに餌付けしている人は酷い奴だ!」と言う人は、自分が食べ残してしまった残飯もまたハトの餌になっている事など知る由もない事でしょう。

ハトには実に有り難いお話なわけですが、時に人間はハトをばい菌のように扱うわけです。糞には様々な雑菌などがいますからね。

個人的な単純な感情の「可哀想だから」とか「動物に優しく」と言った行動が自分達に巡り返ってきている事がお気付きになられたでしょうか?

これらはハトだけではなく身近な野良猫や野良犬も同じ事が言えます。

大事なのはこの現実を受け入れどのような行いが優しさなのか?と言うものを自分自身で見出すのか?です。

ハトも人を困らせるる為に生きているわけでもないし、人間には無い能力を数多く秘めていると言うのも忘れてはいけません。

私の場合、この連鎖を知っているので野生動物には餌付けなどは一切しませんし悪戯もしません。

仮に目の前に死にそうな犬を見つけた時でも助けはしませんが私がその犬の面倒を一生涯見れるとすれば助ける事でしょう、実際我が家には捨てられた犬が一匹いますが。

食物連鎖を歪ませるような行為は極力行わないようにしています。

さて、あなたの優しさとはどんなものなのでしょうか。

追記:野生のハトと書いていますが、厳密に言うと人間世界に飼われているハトと表現するほうが正しいようにも思えます。


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優しさは強さである。

最後に、暗いイメージの内容ばかりですが、心に余裕がなければ優しさなんてものを見出す事は難しいです。

「心に余裕」と言うのは単に暇だから考える時間あるから、落ち着く場所にいるから、時間はたっぷりあるからとかそんな事を言っているわけではありません。

あらゆるものを知り、学び、気付き。自分以外のナニカの存在を理解しようとする事です。

見栄やプライドなんてものが人間にはありますがそんなもの無用だと言う事。

現時点でのあなたにベストだと思える優しさが本当の優しさです、時間が進み過去の自分より今の自分の方が物知りだったり知恵があるのは人間としての進化と言えます。

時間に焦ったり、怒ったり、泣いたりと人間は忙しいですが。それらを自己管理し何事にも冷静に心のゆとりを保てる事が本来の強さです。

心に余裕があれば実際、どんな状況になろうと怒る必要もないし泣く必要もありません。そんな心の保ち方が強さとなり。

強さは優しさとなるわけですね。

私はあまり好きな表現ではありませんが、解りやすくいえば器と言うべきでしょうか。

しかし器と表現するのは自分に限界が生じてしまいます、もっとも毎日少しづつでもいいから大きな器を買い替えていくイメージでありたいものですね。


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